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六本木アートカレッジ・セミナー
シリーズ「これからのライフスタイルを考える」第7回
ジャパンウェア~日本型ベンチャースピリットの行方~

現代日本の源をさぐる:松岡正剛×大澤真幸

更新日 : 2017年04月17日 (月)

第1章 現代は「不可能性の時代」

日本からは世界に通用するベンチャーは生まれない——国内の経済が伸び悩む昨今、そうした言葉を耳にすることも増えていますが、実は日本の歴史をひもとけば、ベンチャースピリットにあふれた数多くの事例を見つけることができます。このトークでは、古今東西の歴史や文化に精通する編集工学研究所所長・松岡正剛氏と、日本を代表する社会学者である大澤真幸氏が、現代日本の特徴を形作った「日本型ベンチャースピリット」の源流を探っていきます。

スピーカー:松岡正剛(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長)
スピーカー:大澤真幸(社会学者)

気づきポイント

●日本型ベンチャースピリットの源流は、戦う目的・意味を共有する「イエ」型の組織。
●ヘッジできないリスクを受け入れ、乗り越えることで、新しい思想や哲学は生まれる。
●自己の中に、危機感を芽生えさせる概念を持つ。それがリスクテイクする勇気を生む。


松岡正剛(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長)


可能性が増えるほど、不可能性も増す

松岡正剛: 考えてみれば、日本には数多くのベンチャースピリットがありました。ヤマトタケル、織田信長、幕末維新の志士、あるいは、足利将軍家にゆかりの深い目利き集団・同朋衆、千利休、商人では紀伊国屋文左衛門、北前船で財をなした銭屋五兵衛、天保の改革で潰された株仲間や十組問屋などをつくった連中も、ベンチャースピリットの持ち主だったと思います。

今回は大澤さんと一緒に「日本型ベンチャースピリット」について話していきますが、大澤さんは戦後以降の日本を「理想の時代」「虚構の時代」、そして現代を「不可能性の時代」と区切り、論じています。

大澤真幸: 2008年に出した『不可能性の時代』(岩波新書)ですね。

松岡正剛: ジグムント・バウマンは、予測不可能なリスクを常に恐れる現代社会を「液状化する社会」と見なしています。そこにグローバル資本主義が重なった。日本はその影響を強く受ける一方で、アニメやゲームなどの雑多な文化がある。全体としては1つのブームに寄ってたかる傾向も強い。そうした中で、『不可能性の時代』から8年が経った今の日本を、どのように捉えていますか?

大澤真幸: まず、「不可能性」という言葉には、2つの意味があります。言葉通りのネガティブな意味と、「不可能性こそが希望だ」といったポジティブな意味です。以前に比べると、現在は規則や規範が緩くなり、色々なことが自由になった。技術の進化によって便利なことも増え、可能性が過剰になっています。にもかかわらず、根本的な部分では、僕たちは不可能性を感じている。

松岡正剛: そこがとてもおもしろかった。


大澤真幸: 例えば、数十年前は社会福祉が高レベルで整備された「北欧型社会」が理想であり、実際に実現可能かもしれないといった希望があり、それを目指そうとしていた時期もありました。しかし、今日では、そうした社会は財政負担が大きすぎるため、不可能だとされている。北欧型の高福祉社会など、かつては、社会主義とか共産主義とかに比べてかなりささやかな理想だとされていたのに、それでも、今日では不可能だとされている。

僕たちが抱いていた、ユートピアと現実の中間ぐらいのささやかな希望は、時代が進むごとに実現が難しいとわかり、結局、現状をどうにか生きるしかないといった気分になっている。可能性が増えるほど、不可能性も増えていくというアンビバレントな状況です。

なぜ、そうなるのか? 社会がグローバル化していけば、仕事や人間関係などが評価されるグラウンドも世界に開いていきます。そうなると、国境や文化の差異は薄れていくのかといえば、実はグローバル化するほど、自分たちの歴史や文化に対する「自覚」が強く求められるようになるのです。

松岡正剛: イギリスのEU離脱も、まさにそうだった。

大澤真幸: そうですね。グローバル化するほど、僕たちは「日本人であること」を痛感し、そのせいで不可能性を感じるようになる。それが良い面に影響することもあれば、悪い面に影響することもあり、現在の日本は後者であり、そのために自信を失っている。

松岡正剛: グローバル化が進み、可能性が過剰になる一方で、難民や飢餓は増え続け、格差や差別も無くならない。そう考えると、可能性の増大と、現代人が抱えざるをえない社会的問題は、それぞれ交わることのない平行線上にあり、根本的な問題は先送りされたままだとも言える。

大澤真幸: しかし、根っこは共通しています。グローバルな資本主義によって、僕たちは今までにない自由や便利を享受できるようになった。しかし、環境破壊、難民、差別、格差、原子力発電とその事故、テロリズムといった問題の源泉も、実はグローバルな資本主義にある。アメリカの思想家フレドリック・ジェイムソンは、「資本主義の終わりは想像できない」とも言っていますが。

松岡正剛: たしかに、誰も想像できない。

大澤真幸: 資本主義が終わるときは、人類が終わるとき。資本主義が終わっても人類が生きている、との想像はなかなか働きません。そうしたことも何か、不可能性に結びついている気がします。


該当講座


六本木アートカレッジ これからのライフスタイルを考える 「情報過多社会での暮らし方」
六本木アートカレッジ これからのライフスタイルを考える 「情報過多社会での暮らし方」

松岡正剛(編集工学研究所所長)× 大澤真幸(社会学者)
下剋上の戦国時代の日本人は、「ベンチャースピリット」があったようですが、現代は「日本人って自己主張しないよね」「日本って保守的な国だよね」そんな言葉を耳にすることがあります。では一体、現代日本のヒト・文化・社会の特徴はいつ、どこで形作られたのでしょうか?
二人の論客は、いつの時代のどのような事象に、日本人の源を見るのでしょうか? そして、これからどのような変化を想定するのでしょうか?加速度的に進むグローバル化の中で、何を変え、何を守るのか、一緒に考えていきたいと思います。


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