六本木ヒルズライブラリー

【ライブラリーイベント】開催レポート
エントランスショーケース展示連動企画
谷崎潤一郎と棟方志功-棟方志功のブックデザイン-

ライブラリーイベント

日時:2017年2月27日(月)19:15~20:45@カンファレンスルーム7


2月15日から開催されているアカデミーヒルズエントランスショーケース企画展「おんな~魔性と仏性・棟方志功のブックデザイン」との連動企画で、棟方志功の孫であり、棟方志功研究・学芸員でもある石井 頼子さんにお越しいただき、棟方志功の生涯と作品についての知られざるお話をご披露いただきました。


棟方志功の人となり



石井さんは、棟方志功が53歳のときに初孫として誕生されました。
子供ながらに棟方志功の創作する姿を見るのが大好きで、アトリエの片隅でずっと眺めていたり、代表作のひとつ「東海道棟方板画」の創作旅行に同行したりしたそうです。創作の姿といっても極度な近視の上、昭和35年には右目を失明しているので、顔が板にくっつくほど近寄って、机に突っ伏したような姿で作業をしている後ろ姿でしたが、それでも棟方志功という作家を近くで見て育つことができたことは本当に幸せだったと感じるそうです。

さて、棟方志功は、1955年(昭和30年)に第3回サンパウロ・ビエンナーレでメタルールジカ・マタラッツォ賞(版画部門最高賞)、翌1956年(昭和31年)には、ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展において国際版画大賞を受賞しました。この受賞は、日本人の作家が世界で初めてグランプリを授賞したということで、大変センセーショナルに扱われたそうです。1959年に皇太子様がご成婚されたこともあり、日本中にテレビが普及し始めた頃で、今とは違い生放送しかない時代に、描いて、掘って、摺って、喋って、その上、歌まで歌えるような人だったので、テレビにはとても重宝がられて、取材を頻繁に受けていたそうです。そのせいか、その時代の方たちは、棟方志功を映像で覚えていらっしゃるかたも多いようです。


棟方志功の礎、故郷青森


棟方志功の故郷は青森。八甲田山が大好き、自然が大好き、ねぶた祭りが大好きで、その頃みた弁慶と牛若丸のねぶたが頭に残っていたのか、棟方志功が描くねぶたを題材にした作品は、後年になってもずっと弁慶と牛若丸だったそう。また、あだ名に「世界一」とつくくらい子供のころから世界一になりたいと言っていたそうです。

そして、夏のねぶたに対して冬は凧絵。子供のころは、絵を描く紙を買うこともままならないほど貧乏でしたが、「絵っこかえてけろ」と言って紙をもってくる友達に凧絵を描いてあげると、みんな喜んで紙をくれるので、そんな風にして紙を調達していたそうです。


その他に惹かれてやまなかったものに、青森の自然の中の花がありました。オモダカという花があり、幼い棟方志功の目の前にこの花が揺れていいるのを見て、生まれて初めて「美」というものを知り、こういう「美」を表現できる人間になりたいと思ったのだそうです。それには絵描きになろうと思い、「世界一」という夢が「絵描きになる」という具体的な夢に変わった小学校6年の頃の出来事でした。 その後も絵描きになるという夢は膨らんでいき、17歳のときに友達からゴッホのひまわりを見せられて「わだばゴッホになる」と叫んだというのは有名な話です。ただ、日本で初めて紹介されたゴッホの絵は、今とは違って、とても哀愁の漂う作品だったそうで、棟方にとってのゴッホは静かで静かでたまらなく静かなものであり、ゴッホの中の哀愁にひかれたのだそうです。

画家から板画家、そして天性の仕事、装幀


昭和4年、21歳の頃に上京し、日展に入選することを夢見て絵を描き続けるも落選続き。その頃、川上澄生という人の版画を見て感銘を受けて、画家から版画家への転身を決意します。特に、版画には絵の中に文字が書かれており、その自由さに魅かれたのだそうです。

東京では、後に阿佐ヶ谷文士村と名付けられるほど、沢山の有名な文士が集まっていた大和町に居を構え、ここで日本浪曼派の作家たちと繋がりを持ったそうです。特に、保田與重郎とはよほど気が合い、生涯深い親交があったと言います。そんななかでも同郷でありながら、全く接点がなかったのが太宰治でした。なぜか、お互い意識しすぎてしまい、お互いに嫌いあっていたと言います。


当時、版画は物々交換のようなもので、創作版画ではとても食べていけない時代でしたが、児童文学という雑誌に挿絵をかくことで生活をつないだのだそうです。そこでは、まだ無名な時代の宮澤賢治や名のある人たちの挿絵をかくことで、作家や詩人、翻訳家、新進気鋭の人とのつながりができ、その後の民芸運動の柳宗悦や河井寛次郎などとも交流を深め、様々な本の装幀を手掛けました。石井さんは、棟方志功の持っているデザイナー気質、職人気質な部分、言葉の感性がとても豊かであるという点などから、装幀の仕事は彼にとって天性の与えられた仕事だったのではないかととおっしゃいます。

昭和17年頃、「紀伊国屋書店の平台がすべて棟方志功の本で覆い尽くされた」と保田與重郎が書いた文章あり、とても大げさに聞こえますが、実際、昭和14年から17年の前半にかけての2年半で、棟方は100冊の装幀をしているので、実際にそんなことがあったのかもしれないと言います。

偉大な作家への尊敬の想い


90分にわたり、棟方志功の代表作からあまり知られてない作品まで、その創作の背景や裏話について、石井さんだからこそご存じのエピソードを、たくさんのきれいなスライドを見せていただきながらお話いただきました。
実に生き生きと楽しそうに語ってらっしゃる石井さんを拝見していて、祖父であり、偉大な作家である棟方志功への大きな尊敬と愛情の想いがとても強く伝わってきて、心が温かくなる素敵なセミナーでした。



【スピーカー】石井 頼子(棟方志功研究/学芸員)