オピニオン・記事

語る、つなぐ ~記憶のアンテナにふれるとき~

生と死の間(あわい)にあるもの/いとうせいこう×能楽師・安田登

更新日 : 2015年11月18日 (水)

第10章 天と地、過去と未来、生者と死者をつなぐ


 
囃す、生やす

いとうせいこう: イスラム神秘主義の儀礼で使われる「カッワーリー」という歌謡があります。これは、イスラム教の神様を讃える歌で、歌い手の一人にパキスタン人のヌスラット・ファテ・アリ・ハーンがいます。1997年に亡くなりましたが、600年以上も「カッワーリー」を受け継いできた家系に生まれ、イスラム圏を中心に世界的な人気を誇った歌い手でした。

「カッワーリー」は、歌も演奏も即興で、アドリブ合戦のような形で進んでいきます。その中で、ヌスラットは独唱の際、「サリガマパダニ」という、西洋音楽の「ドレミファソラシ」に相当する音階を何度も反復します。彼が恍惚とした表情で「サリガマパダニ、パパパパパ、ダダダダダ」と歌うと、不思議なことに聴衆が一気に熱狂してしまうのです。この同じ音を何度も反復するあたりに、『翁』に出てくる「とうとうたらり」に通じるものを感じます。そもそも、「ドレミファソラシ」について、我々は非常に論理立ったものと感じていますが、実際はどうなのでしょうか?

安田登: 元々は、聖書にあるラテン語の賛美歌に由来するそうです。

いとうせいこう: つまり、神様とつながるための言葉であると。我々はそれを学校で習い、非常に論理的なものとして理解していますが、そうした考え方を捨て、無心になって「レレレ、ラララ」と反復すれば、『翁』と同じ感覚を得られる可能性があるかもしれない。

安田登: そうなると、人に聞かせる音楽ではなく、もはや神降ろしや憑依のための音楽になりますね。また、能で奏でられる音楽は、演奏と言わず、囃す(はやす)と言いますよね。囃すとは、「木を生やす」に通じます。したがって、能の囃すには、おそらく2つの力があると考えられます。1つは、本来ここにいないはずの霊的な存在を呼び寄せる。

いとうせいこう: 死者や精霊など、この世あらざるものを自分の目の前に「生やす」。

安田登: そうです。もう1つは、謡っている人間に秘められた本来の力を引きずり出す、という意味での「生やす」。

いとうせいこう: なるほど。芸能とは本来、祈とうや雨乞いなど、神様や精霊とつながるための儀式から生まれたわけで、本来のベクトルは自分、つまり祈りを行う当人に向いている。観客という存在は、いわば後付けですね。

 
能に隠された陰陽思想

安田登: 能の見どころに、「舞」があります。「舞」の語源は「廻る」で、舞台上をすり足で回旋運動をするのが「舞」です。動きの型は様々ありますが、基本的な動きとして、前に出る「差し込み」、後ろに下がる「開き」があり、そのほか左右に動く「左右」という型などを中心に組み合わせて舞ができています。

実は、この動きは「陰陽」を表しています。前に出るのが陽、後ろが陰です。また、左右は左が陽、右が陰。舞を舞うという行為は、陽の次には陰、陰の次には陽という具合に陰陽を順序良く繰り返す行為なのです。世阿弥は『風姿花伝』の中で、「陰陽の和合が、すべての成就のもと」と語っています。和合とはバランスのことで、謡や舞、囃子など、能のあらゆる要素にこの考えがうかがえます。

この舞によって何が起こるかといえば、自分の中にある陰陽が整う。自分の中の陰陽が整えば、天の陰陽とも感応し、天の陰陽も整い始めるのです。すると、雨が降る。なぜなら、あめとは天地(あめつち)のあめであり、天が降る(雨が降る)です。そのため、日本では昔から、天の陰陽が整うと必ず雨が降ると考えられています。

いとうせいこう: さらに言えば、それは天地だけでなく、過去や未来ともつながっている。地が過去だとすれば、天が未来になる。そして、これを変えるために現在に立つ我々が能を通じて働きかける。そういえば、生者と死者という意味でも、陰陽に通じていますね。

安田登: まさしくそうです。

いとうせいこう: すごいな、能は……。えっ、もう終わりの時間ですか? 僕はまだまだ、安田さんと話していたいのですが(笑)。

安田登: しかし、明日もお会いしますよね(笑)。

いとうせいこう: そうだ、明日は謡のお稽古ですね。それでは、早起きして8時に参ります(了)。


気づきポイント

●夢幻能におけるワキ方は、過去と現在とともに、生者と死者の間(あわい)に立つ存在。
●能を通して「死者は常に我々のすぐそばにいる」という古の感覚を呼び起こすことができる。
●能は、秩序や論理、時間の観念から解き放たれた世界。だからこそ、現代人に必要なもの。

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650年前から続く伝統芸能「能」は、死者と生きる者の話。能をフックに、私たちが忘れかけている、日本の文化、そして死生観について語ります。



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