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カフェブレイク・ブックトーク「旅先で気になる建物たち」

更新日 : 2009年03月26日 (木)

第2章 多くの人びとが旅先で、それぞれ気になる建物に出会っている


旅先で気になる建物に出会い、それに惹かれるという感覚は、私だけのことではないようです。

少し前のベストセラー『哲学のなぐさめ』(安引宏訳、02年集英社刊)の著者アラン・ド・ボトンが『旅する哲学—大人のための旅行術』(安引宏訳、04年集英社刊)にこんなことを書いています。

「アムステルダムで、わたしはヨルダン地域の小さなホテルに部屋をとった。カフェで昼食を取ると、市の西側に散歩に出かける。……その地域にある建物は薄いピンク色の長めの煉瓦を妙に白いモルタルで固めたもので、イギリスや北アメリカの煉瓦造りより遙かに統一がとれていて、フランスやドイツの建物とは違って煉瓦がむきだしになっている。

……どの建物の一階にも大きな窓があり、どの家の前にも自転車が止めてある。通りの造りは家庭的なつつましさで、これ見よがしな建物は存在しない。まっすぐな通りが小さい公園と交差する……〔そんな通りの〕赤い玄関の扉の前でわたしは立ち止まり、自分の残りの人生をここで過ごしたいという、強い憧れのとりこになった。……なぜ、外国の玄関の扉といった、小さなことに誘惑されるのだろう?」

洋画家の森茂子の旅の絵日記『私の巴里』(03年エピック刊)の中に「裏窓」という一葉の水彩画が収められています。そしてこう記しています。

「バルコンに来る鳩にえさをやる老女。所在なげに窓ぎわで時を過ごす女。窓から身をのり出してお隣さんとお喋りにあけくれる女たち。窓辺の花に水をやる老人。他人の気配にいそいで窓を閉める若い女……」。

この画家はこんな建物の佇まいが何かとても気に掛かったのでしょう。

●ゲーテも旅先の街々を彷徨い古い建物に往時への想いを重ねた

たとえビジネスのための出張ではあっても、ちょっとした時間を見つけて、非日常的な旅情に浸ろうとして旅先の街を彷徨したとき、私たちもそんな感傷に陥ることがしばしばあります。ボトンはそこで非日常的な旅情を感じたのでしょうが、そうした雰囲気への憧れは現代人に限ったことではありません。

18世紀末に南欧イタリアを旅したゲーテは後に『イタリア紀行〈上・中・下〉』(08年第64刷、岩波書店刊)で、中世の建物には何の魅力も感じず、古代ローマやルネサンス期(ロマネスク様式)の建物に魅せられたことを語っています。そうした非日常的なものへの感傷は、東西とか南北と言った地域文化的な特徴だけではなく、時間の隔たりからも起こることを物語っています。ゴチックやバロックの建物は彼にとって同時代的な様式であり、それらは日常的な見飽きた存在であったからでしょう。

ゲーテは、北イタリアの小都市ヴィチェンツアで16世紀の建築家パッラーディオの一群の後期ルネサンス様式の建物を賞賛した上で、「パッラーディオの立てたものの中で私が一番好きなのは彼の自宅だったとされている建物だ。それは世にもささやかな家で、窓は二つしかなく、その二つの間の空間がとても私を惹きつける」と言っています。

そのことについては、最近出された『ゲーテ『イタリア紀行』を旅する』(牧野宣彦著、08年集英社刊)にも書かれています。著者はゲーテの旅をたどって、現在の北イタリアの諸都市からローマ、ナポリ、シチリアを旅行しました。そしてゲーテが見たであろう景観を想いつつ、さまざまな建物を図版に掲げています。新書版の本なので掲載されている写真図版が小さく、ゲーテを魅惑した建物の特徴があまりよくわからないのが残念です。