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G8洞爺湖サミット「シェルパが語る首脳外交の舞台裏」

BIZセミナーその他
更新日 : 2008年11月13日 (木)

第8章 温暖化ガス半減目標の、あの声明文はいかにしてつくられたのか

アカデミーヒルズのランチョンセミナー「G8サミット:シェルパが語る首脳外交の舞台裏」の様子

河野雅治: シェルパというのは首脳の意向を100%代弁するのではないのです。120%代弁してしまうのです。首脳以上に首脳の意向を強く代弁するものですから、なかなか議長としてまとめ上げようにも接点が見つからない、そういうことが続きました。重要な問題もありますが、細かい話に至るまで、ありとあらゆることで首脳の意を120%代弁してくので、全部聞いていたらえらいことになるのです。

しかし、そんな中でシェルパの仲間意識というのは築かれていきます。シェルパは本当に気力、体力ともに相当な人たちが集まっていると思いました。私ども日本人の感覚でいくと、「まあ、いろいろ議論もあるけれども、食事をして酒を飲んだら仲良くなっていくだろう、腹を割って話せば」と思うのですが、私は発見したのです。ヨーロッパ、アメリカ、ほかのシェルパは食事をさせて、お酒を飲ませたら、もっと激しくなるのですね(笑)。

お酒を飲ませると、もっと国益の主張が強くなって、しかも理性的な人が感情的になるんです。そうなると、とめどない感情の発露、爆発ということで、「これはお酒を飲ますのはよくないのかな」とすら思いました。

そういうことでしたので、7月7日の夜中はなるべくコーヒーばかり出して、徹底的に何とかまとめようとしました。すると最後にロシアの35歳のシェルパが「マサ、ちょっとワインが欲しいんだ」。やはりお酒を飲まないと元気が出ない人もいるんですね。

強靭な体力と気力、そしてお酒を飲ますとますます危なくなる人たち、そうした人たちと議論していくのはなかなか大変なことでしたが、そうやって乗り越えた最後のところで、人間関係というのは築かれるのかなと思いました。「お前、立場上そこまで言うのは分かるけど、俺は議長だぞ。俺の顔も最後は立ててくれよ」と最後に言うときには、相手も「分かった」となる。しかし、そういうことが起こるのは首脳会合の数時間前なんです。

数時間前まではそれが見えないんです。それがこのシェルパの活動、議長のつらいところだと思いました。

「気候変動」の長期目標、これについてはあまり長くは申し上げませんが、これも5月の連休前のシェルパ会合の段階では全く接点のない、収斂しない議論でした。解が見つからないまま6月もなかばを過ぎて、その辺ですね、6月の後半に洞爺湖にみんな集結して、3日間、ほぼ徹夜でシェルパの議論をしました。

そこでようやく、「ここまで徹底的に主張したけれど、何とかお互いまとめ上げようじゃないか」という機運が出始めてきました。「議長の顔も立てなければいけない、自分の首脳の立場もある。しかし、ここでまとまらなければ、すべての首脳にとって失敗ということになるので、それだけは避けたい」ということで、あの徹夜の3日間が、ある種、潮目の変わった時期だったと思います。

そして最後の晩、7月7日夜、『極秘交渉シェルパたちの180日を追う』というNHKの番組をやっていました。あれは非常に未完結のまま終わっていましたので、それがどうなるかということなのですが、あれはよくできたドラマでした。あの番組は夜10時から放映していましたけれど、10時30分ごろ、総理が私を呼ぶんですね。

総理は「君の番組、今見ているんだけれどさ、なかなかいいけれど、これ、完結するかな?」とおっしゃる。私が「総理、ようやくここまできて、こういう文案でまとまりつつあるんですよ。これ以上やったらぶち壊しになるかもしれません」と言ったら、「そうかな……」と。そして、福田総理がですよ、「もう一押し頑張れ」と、こうおっしゃったわけですね。「総理、ちょっと……」と言いながら電話を切ったのです。 

そこで、最後の、私どもシェルパのドラマが起こったのですね。そのあとの4時間、4時間の間で、結局この長期目標についてG8が合意し、「これが世界中の長期目標となることを求める」という文案をまとめ上げたということです。従って、そこまでいろいろな報道がありましたけれど、一部当たっていたのも、全部誤報になってしまったわけです。

あのとき、最後にアメリカと相談したときに、1時間、どうしても言葉が見つからなかったんです、アメリカも日本も。そして最後に「seek」という言葉を見つけたのです。それまでは「望ましい」といったもう少し緩い表現でしたが、これがG8の間での唯一の接点だったのです。これの接点をずらしたら、ヨーロッパが反対するか、米国が反対する。しかし最後にアメリカと交渉したときに、アメリカが「seekでいこう」と。その言葉を見つけたときには、本当に目の前に光明が見えたと思いました。