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都市は思考する〜利休の追求したクリエイティブ空間とは?

更新日 : 2018年10月16日 (火)

後編:木村宗慎 × 藤村龍至 利休と秀吉のコラボ茶室にみる創造的空間

藤村龍至(建築家)

利休と秀吉—乱世の奥深きコラボレーション
藤村:今回は森美術館で開催中の「建築の日本展」との関わりもあるので、同展で原寸再現されている茶室、待庵のお話もできればと思います。建築史を学ぶ際は、よく重要な3つの茶室として待庵、如庵、孤篷庵忘筌(こほうあんぼうぜん)と覚えるのですが、なかでも最もミニマルなのが待庵です。木村さんは、待庵の空間をどうとらえているのでしょう?

木村:一時は批判していた時期もあったのが、最近もう少し素直にとらえるようになったかもしれません。やはり、たった二枚の畳でホストとゲストが一体になるという意味で、ユニークだと思います。また、明日をも知れぬ戦乱を「切った張った」で生きるお侍さんたちにとって、近づいたら殺し/殺されることが必至の間合いに持ち込むことが、何よりの非日常として逆説的に受け入れられたという意味でも、面白いと考えます。

藤村:利休は60歳で豊臣秀吉のもとにつき、その歳で待庵をつくります。そこから秀吉といろんなことをしていき、切腹を命じられるまでの間はわずか10年だった。秀吉とのコラボレーションでは黄金の茶室もありますね。こちらは随所に金箔を使い、茶室の従来のあり方を疑う、現代美術のようなことをやっていたと木村さんは仰っていて。その見方も面白いと感じました。利休と秀吉のコラボレーションはどうとらえていますか?


木村:両者の関係は、混乱の時代だからこそ許されたことかもしれない。とはいえ、とてもユニークな二人組だと感じます。特に秀吉は、文化の豊かさがないところから生まれ育った人。だからこそ文化芸術を好み、政策にも生かした稀有な権力者かと思います。近世ができ上がる前の混乱期に、日本的な「個」をぶつけ合い、面白いことを考え続けた二人組ではとないでしょうか。ですから我々が待庵について考えるときも単体ではなく、その向こうに豪華絢爛な大阪城や黄金の茶室も透かし見る、そういう見方が面白いのではという気もします。

また、当時の大変な歓楽地であった北野天満宮での「北野大茶湯(きたのだいさのえ)」という大規模な催しでは、「全国の茶人よここへ集え」みたいな茶会をやっています。閉じたカルチャーだったお茶を、当時の首都で多くの人々を交えてオープンにした。これも面白いですね。でもそうしていろいろ挑戦した先に、最後は利休も行き詰まっていた部分はあるのではとも感じます。

藤村:そのあたりのモヤモヤが、晩年の二人の確執にもつながっていくのですかね。そうした背景を頭に入れると、待庵は両者のコラボレーションの原点ともいえそうです。市中の山居として始まったものが、都市型の、ある種のプロパガンダの場にもなり、しかしそれが活性化することで茶の湯のシーンが盛り上がっていく局面もあったと。

人と人の距離を縮める、現代版「茶の湯デザイン」へ

藤村:木村さんが考える「茶の湯デザイン」についてもぜひ伺いたいです。利休から茶道が発展していき、型が生まれ、歴史と伝統になっていく。その中で、いまどういう風にそれらを引き取り、デザインしていこうと考えているのでしょう。

木村:茶の湯のデザインは、400年以上蓄積される中ですごく洗練されています。言い換えれば定型化、様式化もしていますが、いま、お茶をやるのはとても楽しいです。というのは、この100年弱、茶の湯が生き残るため受け皿にしたのは花嫁修行的なものでした。これは高度成長期の各家庭にもマッチして、劇的に広がりました。でも、やはり長いこと同じビジネスモデルで続けると、制度疲労を起こします。

その中で、なんとか再編集したいという意味で「茶の湯デザイン」を改めて現代風に変えて、かつてお茶が持っていた、自分なりの価値観や美意識、もっといえば互いのエゴをもさらし合う体験としてとらえてみたい。美という物差しで人と人の距離を縮める、そういうカルチャーとして再生させることで、お茶が生き残れる道はあるのかなと思うのです。

藤村:とても前向きなお話ですね。そうなると、そうした茶道のターゲット、コミュニティを形成するのはどういう方々になるのでしょうか。



木村:実はこれも、都会で再生され始めています。様々な人がいるので、お茶をある意味、各々のおもちゃにして楽しむなかで、多様な表現が増えていく。それこそ建築家の方や、デザイナー、クリエイターが「伝統的」と冠のつくものと向き合って作品づくりをするとき、茶室などがうってつけの素材になり得るでしょう。定型美があるからこそ、それをどう再編集できるかがいい意味でわかりやすく表現されるし、お茶室ではある種のエキセントリックな表現も許されますから。

広くビジネスマンのような方々にとっても、日本と向き合おうと思った時、お茶はすごくよいリソースが残されている文化だと思います。型を自覚しながら、型にはまりきらない自分を見つける。そうしたアプローチがうまく行きさえすれば、多くの人々に、以前とはまた違う形で戻ってきてもらえるのではと考えています。

藤村:日本の伝統と、近代的な建築の作法をどう結びつけるかは、歴代の建築家も工夫をしてきたところかと思います。隈研吾さんなども試みられていますが、茶室をある種の実験台のようにして、そこで得たものを、さらに大きな仕事に活かしていくこともあるかと思います。そうしたことを考えても、茶室は不思議な空間ですよね。秀吉も、お城や御殿があるのに、ああした小さなプロトタイプのような茶室をわざわざ作っていた、とも見える。

木村:建築家がおつくりになる建物にも、快適で便利で居心地がよいというだけではない空間があるかと思います。メッセージ性に富み、挑戦があり、ときにはそこに佇むことがしんどくなるようなものを敢えてつくることもあるのかなと。そういう、単なる実用を超えてつくられる空間は、すべからく「市中の山居」ではないでしょうか。茶室は、混沌も許される、流動的な空間とも言えます。ぜひ、いろいろな茶室をご覧になって見てください。作り手の発想が見え隠れし、「俺が一番」というものも「お客さんが一番」というものもあって面白いですよ。いつかぜひ、藤村さんの作られる茶室も見てみたいです。
質疑応答

セミナーの最後には、来場者との質疑応答も。利休は人生を楽しんだのだろうか、との質問に、木村さんは「利休がじつは切腹していなかった」という説も紹介しつつ、この謎多き茶聖の関心は「最終的に、モノではなく人になっていったのでは」と語りました。転じて、よい茶会では誰しもその人柄が丸裸になるとし、慎ましい趣向の茶席で亭主のエゴが露わになったり、逆に下品とさえいえる華美な茶会に意外な清々しさを感じたりする、その奥深さにも言及しました。また、伝統と現代性の関係を尋ねられると、これを織物にたとえ、「縦糸(伝統)と向き合い、一度はそれを疑うこともしつつ、しっかりと横糸(現代性)を通し、我々の世代の紋様を織り成す」ことの大切さを強調。

ほか、侘びの利休が派手好きな秀吉との間に抱いた葛藤についての質問には、「秀吉にも侘びを求めた一面があり、利休には秀吉との仕事で自己実現を果たした一面があると思う。そうした意味で二人はシンクロしていたのでは」と述べました。質問者の方が大好きだという十五代樂吉左衞門の茶室(滋賀県、佐川美術館内)について聞かれると、現代ならではの工法など、こだわり抜いたつくりにテーマ性を感じる一方、「じつは、樂さんが何も考えずにスコーンと抜けた感じで収めたようなところが、とても美しく居心地が良かった」と、茶室空間の深淵さを語りました。

最後に藤村さんは「木村さんの新しい解釈によって、茶の湯がどう都市と関わるのかという視点からお話を伺うことができました。みなさんぜひ今日の議論を持ち帰って、ご自身の立場でかみ砕いていっていただけたら幸いです」と挨拶。茶の湯の精神に呼応する形でまとめました。<了>


該当講座


利休の追求したクリエイティブ空間とは?
~「都市は思考する」シリーズ~
「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」森美術館 関連イベント
利休の追求したクリエイティブ空間とは? ~「都市は思考する」シリーズ~ 「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」森美術館 関連イベント

木村宗慎(茶人/芳心会主宰)×藤村龍至(建築家)
二畳の茶室・待庵。千利休が秀吉のためにつくった極小空間には、どんな思いが込められているのか?人と人とがリアルに会する意味が希薄になりつつあるネット社会において、形式に則り、あえて限られた空間で他者と向き合うことを強いる茶道が現代社会に還元できるエッセンスは何なのか?


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