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日本元気塾セミナー
隈研吾氏と考える「世界における日本の戦い方」

更新日 : 2018年05月15日 (火)

第1章 「この地でしかできない建築」、その挑戦が世界を魅了した〜「那珂川町馬頭広重美術館」と「竹の家」〜

隈研吾氏は多くの国際コンペを勝ち取り、20カ国のプロジェクトに携わっている。地元の素材を活かし、その土地の強みを引き出しながら、建築を自然や地形、環境、社会のなかに溶け込ませる独自のスタイルを貫き、地元の人々とも信頼関係を築いてきた。世界で仕事をするきっかけとなった作品や海外での体験などを織りまぜながら、隈研吾流「世界における戦い方」を語る。

開催日:2018年2月19日 (月) 19:00~20:30
スピーカー:隈研吾(建築家)
モデレーター:米倉誠一郎(法政大学イノベーション・マネジメント研究科教授/一橋大学イノベーション研究センター特任教授)

(文・太田三津子/撮影・鰐部春雄)

気づきポイント

●多様性が組織を活性化させる ●面白そうなことには飛び込んでみる
●仕事はステップ・バイ・ステップ。実験を重ね、信頼関係を築く
●海外の仕事の過半は信頼関係の構築である
●「相手の立場」に立って建築を考える


隈研吾(建築家)


米倉誠一郎: 本日は隈さんと共に、建築を中心に「世界における日本の戦い方」を考えていきたいと思います。日本の国際競争力を考えるとき、建築は忘れてはならないソフトパワーです。世界の多くの美術館や公共建築に日本の建築家が携わっている。その競争力の根源を、隈さんのお話から探っていきます。では、隈さん、よろしくお願いします。

「即日設計面接」の結果、所員の半分近くが外国人に

隈研吾: まず、私がどんな仕事の仕方をしているか、スライドで作品をお見せしながらお話しします。今、事務所の所員は210人です。東京事務所が130人、パリと北京、上海の事務所がそれぞれ25人くらいです。210人中、外国人が100人以上います。1990年代は10人強の所員でやっていたのですが、2000年頃から海外の仕事が多くなり、外国人の所員が増えていきました。結果的に、世界で勝負するうえでいい体制になっています。

当初から外国人を増やそうと意図していたわけではないのですが、面接をすると、外国人に面白い人が多かったのです。採用試験は「即日設計面接」で、週1回くらいのペースで面接をしています。朝の10時に課題を与え、夜10時までの12時間で図面を描いてもらいます。夜10時から私が面接して説明を聞きます。これでその人の能力がほとんどわかります。「面白いな」と思ったら採用です。

もうひとつのポリシーは、できるだけ新人を採ること。通常は即戦力になる経験者を採りますが、経験者が加わると若い所員が萎縮しやすい。皆、ゼロからスタートしたほうが民主的な雰囲気になると思ってそうしています。いろいろな国の人たちが一緒に仕事をするようになって、事務所が活性化しました。スペインのプロジェクトにはスペイン人スタッフを加えるというように、それぞれ地縁のあるプロジェクトに携わるようにしています。実際、そのほうがうまくいくことが多いのです。

「那珂川町馬頭広重美術館」をCNNが世界に紹介

隈研吾: 具体的なプロジェクトをご紹介します。2000年竣工の「那珂川町馬頭広重美術館」は屋根まで地元の杉を使った建物です。木の不燃処理ができるようになって、こうしたことが可能になりました。地元の和紙や石なども随所に使い、地元の職人さんと一緒につくり上げました。これをCNNが取り上げて世界で放送し、海外で注目されました。これと中国の「竹の家」がきっかけとなり、海外の仕事が増えました。

中国の「竹の家」の前に、鎌倉で竹を使った実験住宅をつくりました。直径15㎝の孟宗竹のなかに、鉄筋とコンクリートを詰めて強度を出しています。その後、中国の著名な建築家、張永和さんから「万里の長城の横で、知人の家を設計してもらえないか」という話が飛び込んできました。設計料は交通費込みで100万円。思わず、えっ?と驚きましたが、「スケッチだけでもいいから」という話です。しかし、やるなら最後まで責任をもってやりたい。中国では現場監理までしないとまったく違うものができてしまいます。

ビジネスとしては大赤字です。でも、万里の長城の横に家を建てるなんて、こんなチャンスはなかなかない。インドネシア人スタッフのブディ君が「ぜひやりたい」と手を挙げました。彼は国費留学生です。「でも、ふたりの交通費だけで予算が飛んでしまうよ」と言ったら、彼は「安い交通手段があるし、一泊500円の北京のホテルから毎日観光バスで現場に通うから大丈夫です」と言い、具体的な方法と費用まで調べていました。

設計料100万円の「竹の家」で、世界から仕事の依頼が…



中国での初仕事で、しかも「万里の長城」という場の魅力、それにブディ君の熱意でこの仕事を引き受けることを決め、「竹の家」が実現しました。「竹の家」は素朴です。中国ではピカピカ、キラキラした建築が好まれていたので、素朴な建築は受けないだろうと思っていたのですが、人気投票で1位を獲得。若い世代を中心に、こうした建築を好む人が結構いることを知りました。

「竹の家」は、結果として大成功でした。2008年の北京オリンピックの開・閉会式の総指揮を務めた映画監督のチャン・イーモウ(張芸謀)さんの琴線に触れ、北京オリンピックのCMの冒頭に使われたのです。このCMが中国全土で繰り返し放送され、CMを観た世界の中国系企業から仕事の依頼がきました。中国系ネットワークが世界を動かしていることを実感した出来事です。設計料100万円で引き受けたことが、中国や世界で仕事をするきっかけになったのです。

パビリオン建築の醍醐味は、いろいろな実験と世界への発信力

隈研吾: 世界最大級の見本市、イタリアの「ミラノサローネ」では、学生たちと一緒に木組みでパビリオン建築をつくりました。飛騨高山の木製玩具「千鳥」を立体的に展開したもので、釘を使わずに、木の棒を結合して自由自在に空間をつくり出します。この頃から「どうつくるか、誰とつくるか」に関心をもつようになりました。

パビリオン建築はビジネスにはなりませんが、発信力があります。やっていて楽しいし、見る人に驚きを与えられる。いろいろな実験もできる。現実の建築は今、保守化しています。これは建築の危機だと私は思う。私がパビリオン建築に積極的に参加したのは、ここで実験して得たノウハウを実際の建築に活かせる可能性があるからです。

そのひとつが愛知県春日井市の「プロソミュージアム・リサーチセンター」です。ここでは木組みのノウハウを使い、6㎝×6㎝の木の棒を組んで3階建てをつくりました。歯科医料の総合メーカー、ジーシーの中尾さんに提案して実現したものです。これはまさに日本でしかできない建築です。



該当講座


隈研吾氏と考える「世界における日本の戦い方」
隈研吾氏と考える「世界における日本の戦い方」

隈研吾(建築家)×米倉誠一郎(日本元気塾塾長)

世界を舞台に活躍する建築家・隈研吾氏は、混沌とした世界情勢の中で何を求められ、デザインを通して何を発信してきたのか?「これからの未来を創る若い日本人が何を強みに世界に出ていくべきか?」について考えます。