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突き抜けるアート ~社会と人をつなぐもの~

変容するアートが人を変え、世界を変える:猪子寿之×津田大介

更新日 : 2015年12月09日 (水)

第5章 デジタルの登場により、アートは自由になった


 
「変容」を表現する

猪子寿之: これは、2014年に大分県で開催された国東半島芸術祭で発表した作品です。かつて縫製工場として使われていた大きな倉庫の中に、鏡に囲まれた長い廊下と、その先に広い空間をつくりました。周囲の壁には、国東半島に生息する四季折々の花が咲き乱れ、様々に移り変わっていきます。

<Flowers and People, Cannot be Controlled but Live Together-Kunisaki Peninsula/花と人、コントロールできないけれども、共に生きる-Kunisaki Peninsula>

http://www.team-lab.net/all/art/kunisaki.html

津田大介: これはどのような仕組みでしょうか?

猪子寿之: 秘密……(会場笑)。それよりも、チームラボが「デジタル」のことをどう思っているか、少し話したいと思います。「デジタルは冷たい。アナログがあったかい」などと言われますが、僕らはそうは考えていません。デジタルの本質を理解していない人は、そう思うかもしれませんが、そもそもデジタルの情報も、元を辿れば人間が表現したものですよね。

情報社会が到来する以前、あらゆる情報は質量を持つ物質を媒介しなければ存在できませんでした。物質は固定的なので、情報も固定的に存在することになる。例えば、油絵は人間にとって1つの情報ですが、絵の具とキャンバスという物質がなければ、その情報は伝えることができない。さらに、その情報はキャンバスに固定されてしまうため、破ったり折ったりすれば、元の状態には戻せない。しかし、デジタルの映像なら、何をするのも自由です。

つまり、デジタルの登場によって、情報は物質という媒介を必要としなくなり、単独で存在できるようになったわけです。それは、アートにも革命的な自由を与えました。物質から解放されたことで、アートは“変容”できるようになったから。

津田大介: チームラボの作品は、まさに変容するものばかりですよね。

猪子寿之: そうです。変容の例として、1つは容易に拡大できること。例えば、美術館に飾られたモナリザの絵を拡大しようとするのは、物理的に無理な話です。しかし、それをデジタルにすれば、拡大も縮小も自由になり、これまで見えなかった微細なタッチや色彩まで手に取るように分かる。

もう1つは、様々な空間にも容易に適応できること。国東半島芸術祭の作品は、広い倉庫が表現の場になりましたが、最初から倉庫という場を想定してゼロからつくったわけではなく、僕達がつくったアートが先にあり、その表現の場として倉庫という空間に適応させた。もっと狭い場所、広い場所であっても適応させることができる。物質を媒介しないからこそ、こうしたことも可能なのです。

そもそも、従来のアートには「変容を表現する」という概念自体、存在していなかったと思います。油絵なども経年劣化して変容しますが、それは作者が意図したり、設計したりしたものではないはずです。しかし、チームラボの作品は、先ほど紹介した台湾の作品や国東半島芸術祭の作品のように、延々と変化し続ける作品ばかり。それも、作り手である僕達自身がアルゴリズムを決め、プログラミングしている。つまり、僕達は変容そのものをアートとしてつくり出しているわけです。

津田大介: なるほど。そのような変容を表現する上で、チームラボの作品ではLEDやプロジェクター、ディスプレイといったものをとても効果的に使っていますよね。

猪子寿之: 現状では変容を表現するための効果的な手段がそれしかない、とも言えます。ハードがさらに発達していけば、僕達の表現の自由度もさらに広がっていくと思います。

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世の中に新しい価値を送り出すウルトラテクノロジスト集団チームラボ代表、猪子寿之氏と、政治・経済・カルチャーなど独自の視点で発信している津田大介氏がアートの可能性を語ります。