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更新日 : 2015年06月03日 (水)

第3章 フリマアプリ「メルカリ」誕生秘話

山田進太郎(株式会社メルカリ 代表取締役社長)
山田進太郎(株式会社メルカリ 代表取締役社長)

 
インターネット・サービスは天職だった

山田進太郎: まずは、簡単に自己紹介を。2001年に大学を卒業し、半年後に個人会社「ウノウ」を立ち上げました。以来、15年ほどインターネット・サービスの世界で働いています。しかしながら、最初の頃はそれが天職とは思えず、飲食業や不動産ビジネスなどにも興味があり、何らかの形で世界に通用するサービスがつくれないかと考えていました。

2004年、長年の夢だった米国移住を決め、現地で何か面白いことができないかと探していた時、日本食レストランを売却した女性と知り合いました。彼女は「もう一度、お店を始めたい」と言い、僕も「飲食業がやりたい」と思惑が一致し、一緒に物件を探し回りました。

そんなある日、女性から「将来は誰かに任せるとしても、最初は2人で店に立つわよね?」と言われ、ハッとしました。僕は当時、リモートで「映画生活」という情報サイトを運営しており、月間100万人位のユニークユーザーを集めていました。一方、レストランはどれほど頑張っても、ひと月にサービスできるのは数千人です。その時初めて、「僕が本当にやりたいのは、何千万人、何億人に使われるサービスをつくることだ!」と、自分の本心に気がついたのです。

2005年に帰国した僕は、個人会社だったウノウを法人化し、写真共有サイト「フォト蔵」、モバイルソーシャルゲーム「まちつく!」などをつくりながら、世界に通用するサービスを模索していました。2009年末、当時世界最大のソーシャルゲームメーカーだった米国のZyngaから、買収オファーが届きました。あくまでも、企業としての独立性を取るのか。あるいは、世界という夢にいち早く近づける道を取るのか。半年ほど悩んだ末、後者を選択しました。

当時、Zyngaのソーシャルゲームは、月間2~3億人のユーザーを獲得していました。その中で、世界に向けて独自サービスを展開できないかと模索しましたが、様々な問題により実現が難しかった。1年半ほど務めた後、2012年1月にZyngaを離れました。

元々、大の旅行好きだったこともあり、仕事から離れたこの機会に、世界一周旅行へ出ようと決めました。半年ほどかけて23カ国を巡り、多くのインプットを得た僕は、2012年10月に帰国した時、並々ならぬ創作意欲に駆られていました。そして、2013年2月に株式会社コウゾウ(現・株式会社メルカリ)を立ち上げ、同年7月にフリマアプリ「メルカリ」をリリースしています。

なぜ、C2Cサービスを選んだのか?

山田進太郎: 「メルカリ」は、スマホなどで撮影した自分の持ち物を、わずか数分で、かつ、簡単に出品できるフリマアプリです。購入者は、Amazonや楽天のように、クレジットカードやコンビニ決済などが利用でき、出品者との直接的なやり取りも不要です。我々の会社が信頼できる第三者として一旦お金をホールドし、双方が満足した時点で取引が成立します。詐欺や未払い、未配送などが起こらぬよう、安心を担保する仕組みです。

メルカリは、いわゆるC2Cサービスです。世界を旅していた時、経済的に貧しいと言われる国も、着実に経済が発展していることを実感しました。しかしながら、リソースを考えるとすべての国が日本のような生活をすることはできません。一方、世界ではいまも大量のモノが生産されており、使われずに廃棄されるモノも多い。今後、地球規模で資源が逼迫していくことを考えれば、今のシステムには限界があります。

ならば、これからは個人間でモノをシェアしながら、モノを大切にしていくことがポイントになる、と思いました。Airbnbに代表されるように、何かを譲り合う・分かち合うシェアリング・エコノミー(共有型経済)は、あらゆる分野で広がりを見せています。そして、僕は世界で普及が進むスマホをベースに、グローバルに展開できるサービスがつくりたかった。「世界に通用するサービスをつくる」というビジョンを実現するための答えが、C2Cだったわけです。

メルカリはiOSとAndroidで展開しており、2013年にはApp StoreとGoogle Playのベストアプリに選出されました(Google Playのベストアプリには2年連続で2014年も選出されました)。現在、国内のダウンロード数は500万件以上(2014年12月時点では700万件を超えています)、1日当たりの出品数は10万点以上、月間流通額は数十億円、という段階まで成長しています。

しかし、僕が設立当初から目指しているのは、「世界に通用するインターネット・サービス」です。人材集めやビジネスモデルの構築、プロダクトの質、資金調達なども、すべてはそこに発想の起点を置いており、現在は世界進出への第一歩として、米国市場への挑戦をスタートさせています。