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美術館館長と経済学者が熱く語る「アートの新たな可能性」

南條史生×竹中平蔵 in 六本木アートカレッジ

更新日 : 2012年04月24日 (火)

第5章 「アートの本質」から生まれるビジネスもある

南條史生(左)竹中平蔵氏(右)

竹中平蔵: 1つ素朴な疑問を南條さんに伺いたいのですが、アメリカにはアイビー・リーグ出身のアーティストがいっぱいいますよね。バーンスタインもヨーヨー・マもハーバード出身です。なぜ日本では、東大出身の世界的なチェリストやアーティストが出てこないのでしょうか。

私は、日本ではアートが何かすごく敷居が高いものになっているように思うのです。美術大学は特別な人が行くところというイメージです。そういう特別な人たちが、先ほどのお話しにあったように、経済とは関係ないところで「私は自由に表現すればいいんだ」となっているのではないでしょうか。美大に象徴されるこうした文化的偏りがあるように私には見えるのですが、これは偏見でしょうか。

南條史生: 難しい質問ですね。日本ではアートは職人のように、特別な技術を持った特別な人だと見ているんでしょうね。だから普通の人が簡単にはなれない、というふうに感じているんでしょう。あるいは尊敬と蔑視がない交ぜになっているために、通常の大学にいる人はアートに行こうと思わないんでしょうか。

一方「アートとは何か」という問題があると思います。日本の美大では、入学試験に合格して入学すると、議論も何もしないで、どちらかというと技術を教えているんです。でも本当は、絵画や彫刻だけがアートではありません。アートの本質は「柔軟な思考」なんです。コンセプトとか、ものの考え方とか、ものの見方とか。今はそういうものがアートのコアになっています。

だからその表現はアート作品という形であろうと、ビジネスという形であろうと、科学者であろうと、往還可能です。柔軟に世界を見直す、現実を見直すスピリットを持っている人がアーティストであって、画家や彫刻家だけがアーティストということでもないんです。そう考えれば本当は、誰でもアーティストになれるんですが。

竹中平蔵: アーティストにも一種のアントレプレナーシップみたいなものが求められていますよね。だから決して職人的なことに陥ることなく、社会に対して、もっといろいろ主張して働きかけてほしいと思います。

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  六本木アートカレッジ「アートの新たな可能性」

今求められているのは、経済的な豊かさ以上に心の豊かさ。それは個人レベルだけではなく国家レベルでも同じではないでしょうか。だからこそ、ソフトパワー(文化や政治的価値観、政策の魅力など)が注目されています。
その中心的役割を担うのがアート。社会、政治、経済と密接な関係にあるアートが、未来の社会でどのような可能性を持つのでしょうか。森美術館の南條館長とアカデミーヒルズの竹中理事長に対談していただき、アートがいかに社会と深く関わっているか、そして、ソフト・パワーがいかに国策として
重要になっていくかの議論を通じて、アートと社会の関係性について考えてみたいと思います。

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