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芥川賞作家、楊逸氏が語る

眉間にシワのよらない「異文化の中の常識」という話

ライブラリートーク
更新日 : 2011年03月09日 (水)

第1章 中国は非常識? それとも日本が変なのか?

日本のバブル期に留学生として来日した楊逸氏。そのとき親がもたせてくれた3万円は、当時の中国では大金だったそうです。お金、言葉、食事…氏が体験したカルチャーショックを両国の歴史と文化からひも解き、対立ではなく理解を深めるためのヒントを語ってくれました。会場に笑顔があふれた、明るく楽しいお話です。

スピーカー:楊 逸(作家)

楊逸氏

楊逸: きょうは「私が考える異文化の中の常識」という題でお話しさせていただきます。最近、中国にかかわるニュースが多いのですが、その中で日本の方が「中国は非常識だ」と言っているのを耳にすることが多々あり、それでこのテーマにしようと思ったのです。

23年前(1987年)、私は留学生として初めて日本に来たのですが、そのときカルチャーショックを受けました。“常識”というものが違っていたからです。今は日本社会を少しずつわかってきたとはいえ、いまだに「ここはやはり理解できない」「日本人はちょっと変だな」と思ったりすることがあります。逆に日本の方から「えっ!? 楊さん、それは違うんじゃない?」と指摘されることもよくあります。

この背景には、歴史と文化というものが詰まっていると思います。現象1つにしても、長い歴史の中でできたものだと思うのです。きょうはそういうことについて、私が中国と日本でこれまでに体験したことを踏まえて、私なりの考えをお話しいたします。

日本に来た最初の頃、言葉は全然わかりませんでした。そもそも日本に来られるとは思っていませんでしたし、当時のハルビン(※楊逸氏の出身地)には日本語学校はなく、日本語を勉強する機会がなかったのです。

そんな中でいきなり日本にやって来て、税関ですごい早口で日本語でいろいろ聞かれ、「早くて聞き取れない。こんなに難しいんじゃ、日本語なんて無理」と思って日本語は諦めました。けれど成田から新宿に行ったらいろいろな看板が全部漢字で書いてあったので、「わあ、わかる!」と思いました。

たとえば「新宿駅」。「新宿」は読めましたし、「駅」という文字は中国ではウマヤ、馬が休む所という意味ですが、「新宿駅」に馬がいないのは明らかなので、「じゃあ、電車が止まるところなんだな」と。そのぐらいは多少元の漢字の意味が違っても、やっぱりわかります。

すると、成田空港で諦めた日本語が「これなら困らない」と思ったのです。漢字は至る所にあるし、南口に行きたいなら矢印の通りに行けばいい。スーパーの買い物でも、買いたい物を手にとってレジのところに行けばいいだけ。当時、中国のスーパーでは人が立って販売していたので、自分で商品を勝手に手に取ることはなかったのです。日本はすごく便利でしたから、すっかり安心してしまって「日本語を勉強しなくても問題ない」と思いました。

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