六本木ヒルズライブラリー

【ライブラリーイベント】開催レポート 
イデア~時代を切り開く者たちの良心~
第1回ゲスト:宮前 義之(ISSEY MIYAKE デザイナー)開催レポート

ライブラリーイベント

日時:2017年6月28日(水)19:15~20:45 @スカイスタジオ



現役の医師でありながら「医療と芸術」「心と身体の調和」などのテーマで活動を続けている稲葉 俊郎氏。その稲葉さんが聴き手となり、「物事の深層にある純粋で完全な何かである」と定義した「イデア」という言葉をキーワードに、創造の分野で活躍している方々をお招きしてお話を伺うシリーズです。

一回目のゲストは「ISSEY MIYAKE」の4代目デザイナーとして、三宅一生さんから受け継がれたブランドをチームと共に率いるデザイナーの一人、宮前 義之さんにお越しいただきました。タイトルにもある「イデア」「良心」を軸に、宮前さんがもつ、服づくりの原風景、あるいは職業倫理といったものなどを尋ねます。

稲葉さんにとってのIssey Miyake


子供の頃から、モノを創り出すことにとても興味があり、ファッション関係やデザイン関係に進みたいと思っていた稲葉さん。最終的には全く違う医療の道へ進んだ稲葉さんにとってもIssey Miyakeというブランドは特別な存在だと言います。
 
三宅一生氏は、衣服を“ファッション”ではなく“デザイン”の中のひとつのカテゴリーとしてとらえ、技術や工程に工夫を加えて新たな素材を創り出したり、日本の伝統の染めや織りなどの技法を服作りに取り入れています。例えば、日本の高度成長期を支えた出稼ぎ労働者に敬意を表して、彼らが愛用していた藍染の大きな風呂敷からインスピレーションを得た洋服をつくったり、実は日本でも古代から習慣として存在していた入れ墨を服のモチーフにしたり、日本独特の割烹着をデザインに取り入れるなどといったように、伝統を継承しながら常に新しいファッションを創り出していて、その発想力には驚かされると言います。

宮前さんのIssey Miyakeとの出会い


一般的にイッセイミヤケといって一番思い浮かぶのは「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」だと思います。PLEATS PLEASEは、自宅で洗濯が出来たり、コンパクトにたためたり、誰でも着られる21世紀のTシャツやジーンズのようなものを目指して作られたのだそうです。

そのPLEATS PLEASEの発表の年、1993年、ファッションの世界を目指していた高校生の宮前さんは、当時毎週楽しみにしていたTV番組「ファッション通信」で初めてISSEY MIYAKEのPLEATS PLEASEのショーを見たのだそう。そして、そのショーを見たとたん、鳥肌がたつほど感動し、その後、録画したそのショーを何度も何度もビデオテープが擦り切れるほど繰り返し見たのだとか。

それまで服というのは、ただオシャレのために着るものであり、宮前さんもそういう世界に憧れていたのだそう。しかしそのショーの映像では、ウィリアム・フォーサイスのフランクフルト・バレエ団のダンサー達が「PLEATS PLEASE」を着て登場し、走ったりとび跳ねたりするとプリーツが揺れて服が上下に踊ってるように見えて、着ているダンサーたちの表情も自然とニコニコし始め、観客も巻き込んで会場全体がすごく良いムードになったのが伝わってきたそうです。そして、ファッションでこれだけ人を感動させられるのか?着る人の気持ちをここまで変えられるのか?と驚きと感動を覚え、これが本当のファッションなんだということに気がつかされたそうです。

Issey Miyakeのフィロソフィ


2011年からIssey Miyakeを引き継いでメインデザイナーとなった宮前さんですが、一生さんと一緒に仕事するようになって一番面白いと思うのは、服作りを通じて社会を見ることができる事だそうです。デザインの仕事というと、学生の頃の宮前さんもそうであったようにほとんどの人は、スケッチブックに向かい合ってデザイン画を書いているというイメージを持ちますが、実際にはデザイン画を書くという作業は、日常の中で1-2%くらいしかないそうです。ほとんどの時間を、どうすれば物事が上手くいくかとか、どうすれば着心地が良くなるかとか、社会の中の女性はどんな生活をしているのかといったように、様々な問題をどう解決するかということに使っているのだそうです。

三宅一生さんは自らをファッションデザイナーとは言わず、ただ、「デザイナー」と言っています。ファッションというと、スタイルとかトレンドを作るという仕事だと捉えられがちですが、Issey Miyakeでは、生活の中でどうすれば心が豊かになれる服が作れるか、伝統をどう守ってどう活かすかということをデザインする仕事だといいます。

Issey Miyakeの一環した哲学のようなもので、A piece of cloths(APOC)=「一枚の布」という言葉があります。これには、身体と布の間にどういう間をつくるか、どう向き合っていくかという想いが込められています。常にMaking think, things, realityということを念頭に置き、発想すること、これまでにないものをつくること、現実をつくることを考えているのだそうです。

メインデザイナーを引き継いで


2011年、メインデザイナーに指名された宮前さんの「何が出来るのか?」という手探りが始まりました。何を残して何を新しくするのか?一年間はとても苦しんだそうです。ファッションという世界は常に新しいものを求められる世界。PLEATS PLEASEというブランドをやめるべきなのか続けるべきなのか?考えた末、一度はやめるという判断をしたものの考えなおし、もう一度どういうプリーツができるのか考えたそう。しかし、すでに20年経過しているブランドであり、机の上で思いつくような簡単なものではなかったのだそうです。

そこで、プロセスをもう一度考えてみようというところまで到達し、糸や素材から考え直したのだそうです。そうして、長い長い苦しいトンネルを経て、スチームをかけてストレッチやプリーツをつくる「スチームストレッチ」という新たな素材が誕生しました。デザイナーはデザインだけ、技術者もパターンだけ引くという分業ではなく、工場の人も含めてチームを作り、同じテーブルで皆で考えたそうで、そうしなければ新しいものは作れないと宮前さんは考えています。そして、何度も何度もトライ&エラーを繰り返しましたが、ISSEY MIYAKEは失敗も含めたプロセスを評価してくれることも良いところだと言います。何百通りものテストを経て、2015年に自然界の美しい曲線がテーマの最初のスチームストレッチのコレクション「森の鼓動」を発表しました。


現在もパリで年2回コレクションを発表しているISSEY MIYAKE。実際、現実感はほとんどなく、日常の生活からはかけ離れているように見えますが、パリコレはクルマで言えばF1みたいなものだと宮前さん。F1というサーキットでの走行を通して技術力を高めたり、燃費の改良をするように、パリコレで新しいことに挑戦して、そこから得たノウハウを現実的で良いものに落とし込んでいくのだそうです。挑戦することと日常的なもののバランスはとても大事だと宮前さんは考えています。

そして、最後にスチームストレッチのコレクション映像を見せていただきました。深い森の鼓動が伝わるような世界に会場全体が引き込まれていくようでした。

宮前さんのブランドに対するまっすぐで手を抜かない、それでいてとても自然体である様がお話を通じて感じられ、稲葉さんの定義した“物事の深層にある純粋で完全な何かである”「イデア」が宮前さんの中に生きているのだと感じました。そしてさらに、宮前さんは4代目デザイナーとしてISSEY MIYAKEのDNAもしっかりと伝承されているのだなと強く伝わってくるお話でした。


【ゲストスピーカー】宮前 義之(ISSEY MIYAKE デザイナー)
【ファシリテーター】稲葉 俊郎 (東大付属病院 循環器内科 医師)

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